冴えない社会人の恋人探しの旅

冴えないサラリーマンのリアルを綴る。雑記多め。名古屋→東京へ転職を機に帰還。彼女探しの旅なう

2023年明けましたね

2023年1月1日。

 

実家でゆっくりしている間に

2022年は過ぎ去っていた。

 

そしてもう元旦。1年早すぎ。

本当なら年末までに2022年の

振り返りでも書きたいと考えていたが、

惰性に惰性が重なり、放置をしていた。

 

もう23年ですが、

まだ間に合うでしょ。ってことで

昨年の振り返り。

 

22年を振り替えると

本当によく仕事をしてたなって印象。

 

1月~7月までは

東京、大阪、福岡、仙台を行き来する

生活だったこともあり、

仕事と移動以外ほとんど記憶がない。

 

8月以降はめんどくさいお客さんが

担当になったこともあり、

クレーム対応やイレギュラーな対応が

多く、身体的にも精神的にも疲弊した。

 

転職前に比べて仕事量も責任も

かなり増えたけど、なんだかんだ

うまくやれていると思うし、

充実はしている。

 

そして転職してきてから約2年。

東京から出たくない気持ちが

日に日に強くなっているため、

上司に転勤チラつかされたら、

辞めてもいいかなって思うぐらいに

現状の東京生活には満足をしている。

 

東京はやっぱり最高な場所で、

遊ぶ場所も飲みに行く場所も数多に

存在するため、飽きることはない。

もう地方にはいけないや。

 

とにかく、毎週湯水のようにお金を

使っていたため、

名古屋勤務時代に比べて貯金が

かなり減ってしまったが、

それも良き思い出である。

 

そしてコロナやインフルにもなった。

 

しんどい思いもしたけれど

病気になったことで

吹っ切ることができた部分も大きい。

 

コロナの免疫がついてからは

金沢や京都に旅行にいったり、

オクトーバーフェスや渋ハロ、

クラブ、W杯のバー観戦など

人混みの中でみんなで盛り上がる

イベントはやっぱり楽しかった。

 

筆者ももうおっさんなので、

イベントは引退となりそうだが、

なんだかんだ楽しい 1年だったなあ。

 

 

今年2023年に関しては

とにかく健康第一で過ごしたいと思う。

それともっと色んなところに旅行に

行きたいと思う。特に海外。

 

素敵な1年になりますように。(祈願)

 

 

 

 

 

 

 

友人がマルチに浸かっていた①

久しぶりの投稿。

 

もうすっかり夜風が冷たくなって

秋というかもはや晩秋である。

 

皆既月食の夜に久しぶりに

筆を執ろうと思う。

 

さて、表題の件だが、、、

大学時代の友人が知らず知らずに

マルチにのめり込んでしまった。

 

その友人とは、大学に入学してから

すぐに仲良くなった。

 

学部が同じで言語の授業も一緒。

席が近かったこともあり、

すぐに意気投合した。

 

そこからは一緒に授業を受けたり

休日に遊びに出掛けたり、

バイトも同じ場所で働くことにした。

 

結局卒業までずっと仲が良くて

一緒に卒業旅行にもいった。

 

彼はいつもノリが軽く、マイペースで

のらりくらりと適当に生きているような

人間だった。

 

口癖はいつも「金ないわー」

 

でもそれが彼のいいところで

一緒にいてとても楽だったし、

そんな彼が人として好きだった。

 

大学を卒業してからは

筆者が名古屋に転勤となってしまったため

顔を合わせる機会は減ってしまった。

 

それでも、彼が名古屋に来たときには

一緒に遊んだりもした。

 

そんな普通の人間だった彼だが、

筆者が名古屋にいる間にも少しずつ

マルチに足を踏み入れていたようだ。

 

昨年度筆者が東京に戻ってきてから

家で宅飲みをした時のことだ。

 

昔の思い出話に花が咲き

盛り上がっていたが、次第に

彼の現状の話になった。

 

ずっと都内の実家で暮らししていた彼が

山手線沿線のシェアハウスに住みはじめた

そうだ。

 

そして、化粧品とは無縁そうだったのに

化粧品を使い始めており、

自己投資にだいぶお金を使っているようだった。

 

また、間接的にだが彼が主催する

飲み会に来ないかと誘われた。

 

勘のいい筆者はすぐにマルチの匂いを感じ

怪しいなと思った。

※筆者は大学の頃にインカレサークルの主催者をやっていた時に沢山のネットワーカーを見てきたのである程度マルチをやっている人の傾向がわかる。

 

アムウェ○とかニュース○ン

やってないよね?

 

そう疑う筆者に彼は

そんなマルチ商法なんか

俺は絶対やらないよ?と強く否定した。

 

そうだよな。そうだよな。

 

怪しい気持ちはまだ残っていたが、

10年近くにもなるお互いの関係だ。

 

彼を信用することにした。

 

そして年が明けた春先に

彼から連絡が来た。

 

なんでも新しくオープンした雑貨屋さんのお手伝いを始めたから

お店に遊びにこないかという誘いだった。

 

なにかと怪しかったが、近くで用事があったこともあり

とりあえずお店によってみることにした。

 

駅近くの好立地のテナントに入っていたので

意外とまともなお店なんじゃないかとも思った。

 

実際にお店の内装や商品は危なそうなものではなかった。

 

ただよくある雑貨屋さんからすると

1マーク売価が高い

所謂オーガニック推しのお店だった。

 

正直お客さんもそんなにいなかった。

ただ強烈に違和感を感じたことがあった。

 

従業員が全員フレンドリーに話しかけてくるのだ。

 

いや、もちろんフレンドリーに接客してくる小売業があるのはまあわかる。

 

ただ、明らか友人に会いに顔を出しただけの筆者をまるで大歓迎するような雰囲気で寧ろ恐怖を感じた。

 

ふつうは少し嫌な顔をする人もいるはずだろう。。

 

ここぞとばかりに商品の紹介も軽くされたが、正直商品の興味もなかったので、

差し入れを渡しただけで帰ることにした。

 

この違和感は後々にとある確信へと

変わるのである。

 

長くなったので今日はここまで。

続く。

 

 

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近況(7/17)

本日も筆者の近況について
ただ書き殴る回である。


最近のトピックス


・6月末に上司名古屋転勤を相談される


7月より社内で名古屋に新部署の立ち上げが
事前リリースされていた。


名古屋勤務歴4年の筆者に声がかかるのでは
とヒヤヒヤして過ごしていたが、
遂にきてしまった。

本部長から電話がかかってきて、
名古屋に戻る気はないかという旨を
伝えられた。


1日考えさせてほしいとだけ
返答をして、電話をきった。


転職して約1年半。
もうあっさりと名古屋出戻るのか。

家に帰り、ベットの上で天井を見上げながら
結論を探すことにした。


結論、やっぱり名古屋に戻れない。


恐らく名古屋に戻ってもすぐに名古屋が
嫌になって、転職活動をしたくなるのが
目に見えている。


なんのために東京に来たのか。
今東京を離れても公開しないか。
なんで名古屋から出たかったのか

何度自問自答しても答えは明白だった。


翌日本部長に断りの電話を入れた。
本部長は筆者の転職理由も知っているため、
名古屋が嫌だという決断も組んでくれた。


そう言うと思ったよ。
今の部署での仕事に全力を尽くしてくれ。
と快く私の我が儘を組んでくれた本部長には
感謝しかない。


7月1日には私の同僚を含む数人に
名古屋転勤が命じられた。


同僚は名古屋転勤に対しては
非常にポジティブな気持ちだった。


名古屋のどこに住むのがいいのかな?
どこで遊んでたの?


そんな同僚からの純粋な質問が
5年前の自分を見ているようで、
心が苦しくなった。



・大学時代の友人が関西へ転勤


大学時代の親友が関西へと転勤になった。

友人は一度福岡に転勤をして、
その後3年ほど東京に転勤をしていたが、
3度目の転勤を命じられたそうである。


福岡に転勤をしたときは、
一緒に福岡や山口に旅行をした。


筆者が東京に帰ってきたからは
お互い東京だったこともあり、
釣りや打ちっぱなしにいったり、
家で鍋パをしたりしてよく遊んだ。

コロナも明けたら、旅行も沢山行こうと
話していた矢先の転勤である。
これからはまた離ればなれになる。


転勤前の土曜日。
友人と学生時代によく通った
大学近くの焼肉屋にいった。


学生向けであろう、その焼肉屋
カルビやタンやホルモンなど、
脂質たっぶりなお肉が看板メニューだ。


学生時代には沢山食べれていた
カルビは胃が受け付けられず。
すぐにお腹がいっぱいになった。


隣卓で楽しそうに、はしゃぐ大学生集団を
傍目にお互い歳を取っちまったな
なんて話をしながら夜は更けていった。


帰りの電車に揺られていると
海にいった帰りであろう家族を見つけた。


そういえば、今年の夏は一緒に
海に行こうなんて約束をしてたっけ。


お互い絶対忘れてた。


焼き肉なんか食べてブクブク太ってる
場合じゃないよな。


マスクの下でクスッと微笑みながら
帰路についた。

久し振りにブログを書いてみる


お久しぶりです。
なんと約7か月ぶりの投稿になる。


ブログを書き始めてから
こんなに長期間放置したのははじめてだ。


というか、もう7月になるのか。。

何かの拍子に
ふとブログのことを思いだして、
筆を取ったところだ。


ブログを放置してた期間
筆者はなにをしていたのか。


朝早くから夜遅くまで仕事をし、
休日は旅行にいったり、
飲みに行ったりゴルフにいったりと
充実していたようにも思えるが、

今振り替えれば
ただただ毎日なにも考えずに
浪費していたように感じる。


コロナの規制もなくなり、
飲み会やイベントに行く機会が増えた。
快適だったリモートワークも無くなった。


徐々にかつての日常を取り戻し始めていた。


仕事と遊びと飲み会に全力だったため、
ブログのことを考える機会もなくなった。


東京は物やイベントや出会いに溢れている。
退屈になることはなかった。


家でゆっくりと過ごすこともなくなり、
ブログのことは頭の片隅からも
消えていた。


名古屋にいたときは
休日が暇で退屈だったので、
よくブログを書いたり読んでいたものだ。

この1年間で
休みの過ごし方は一変した。


改めて東京は魅力的で恐ろしい場所だ。


そういえば、最近周囲の友人の結婚や
転勤、転職の報告が増えた。


コロナの終息とともに、周りは
どんどんスピードを上げて
人生の階段を登っている。


一方筆者は恐らく何も変わってない。
ちょっぴり仕事ができるようになって、
2歳の歳をくっただけである。


このままでいいのかと自問自答しはじめた
今日この頃である。


仕事に関してはびっくりするぐらい
順調である。


大きな仕事を任せてもらっているので
くそ忙しいけれども、
きっとこれが東京でやりたかった
仕事なんだと思う。

今日このぐらいで筆を置こうと思う。


今日までの半年間のことは
ちょくちょく書いていこうとおもう。


今後は定期的に更新できるように
もう一度ギアを入れ直します。

ブロガー歴 5周年記念日

2021年11月28日。


今日は記念すべき
筆者のブロガー歴5周年記念日なのだ。
(前ブログを含めるが。)


飽き性な性格である筆者が
5年もの長期間、
継続してやってこれたものなんて
ブログ以外なにもない。


コツコツとだが今日まで
執筆し続けることができた。


この5年間を振り返る
折角のタイミングなので、
そもそもブログは始めたきっかけや
思い出について語っていきたい。




筆者がブログを初めて立ち上げたのが
2016年11月28日 当時は大学4年生。



就活も終わり、単位も取り終えて
暇な時間を過ごしていたと記憶している。


その余暇を潰すために
よく他人のブログを読んでいた。


当時は今ほどYouTubeがメジャーではなく、
ブログやnoteが情報発信や情報収集の
手軽なツールとして利用されていた。


特に2014年~16年は学生ブロガーと
呼ばれるブログで稼ぐ大学生集団も現れて
周囲も含めてブログを書いている人が
大勢ことを覚えている。


今でこそYouTubeに取って食われた
感じが否めないが、
当時は面白い記事を書くブロガーが
大勢活躍していたのである。


色んなブログを読んでいくなかで、
自分自身もブログ運営に関心を
持つようになった。


もともと文章を書くのが苦手であったが
周囲からの薦めもあり、
興味本意でブログを始めることにした。



初めて書いた記事が以下である。


chansou7878.hatenablog.com


只の書き殴り。
文章も構成もめちゃくちゃ。
中学生の作文のような文章である。


それでも自分で考えた文章が
ネットの世界へと発信されることに
たまらなく満足感を感じていた。


また、筆者はブログと並行して
路上でナンパをはじめた。


「ぼくは、愛を証明しようと思う。」

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そんな恋愛バイブル本に影響されて、
ナンパ界隈へと足を踏み入れた。


冴えない大学生がナンパを始めて
男として成長していく。


そんなコンセプトを持ったブログは
その当時には存在しなかった。
成長日記として記録を残すことで
界隈で少しは話題になるのではないかと
浅はかな考えがあった。


ただ、実際にブログを始めてから
2ヶ月記事を書きつづけても
PV数も読者数も全く伸びない。


ブログを続ける難しさを知り、
誰も見ていないブログを書き続ける必要が
あるのだろうかと迷走もした。

恐らく、ほとんどのブロガーが
最初にぶち当たる壁であった。


それでも執筆自体が楽しくて、
ひたすらに記事を書き続けた。


そんな状況が一変する出来事が起こった。


某有名ブロガーが
筆者のブログを紹介してくれていた。


ある朝起きた時、
普段10ぐらいだったPV数が
数千まで伸びていた。


その時の興奮は今でも忘れられない。


それから少しずつ読者もPV数も
増えていった。

PV数が伸びていくと同時に
Twitterを通じて筆者に会いたいという
DMも届くようになった。


カクという名前が少しずつ
浸透していく感覚が嬉しかった。


同時期にブログを始めた
ブロガー同期との交流もあり、
ブログがさらに楽しくなっていった。

※当時知りあったブロガー同期は
ほぼ全員ブログ自体をやめてしまった。
(いや、卒業していったという
表現の方が正しいかもしれない。)


ただ、そんな筆者に更に転機が訪れる。
大学卒業と名古屋転勤である。


大学を卒業し、社会人になる。
そして東京から名古屋への引っ越し。


慣れない名古屋での新生活とともに
激務の日々がはじまることとなる。


仕事に追われる毎日。
段々とナンパをすることもなくなった。


そして筆者はナンパもできない
ただの冴えない社会人となった。


ブログの趣旨から完全にずれてしまい
モチベーションも保てなくなった。


そこで、心機一転2個目のブログとして
本ブログを立ち上げることになる。


それからは雑記ブロガーとして、
街コンや相席屋マッチングアプリなどの
出会いのツールやダイエットや旅行記
などを紹介してきた。


ある程度大衆的なテーマを選んだからか、
読者数もPV数も順調に伸びていった。


コラムなどの仕事の依頼も届くようになり、
カクの名前を伏せてメディアに
コラムを投稿したこともあった。


また、Twitterでの大炎上も経験した。
詳細は控えるが何万リツイートをされて
特に女子垢からフル叩きにあったりもした笑


炎上翌日に仕事でカフェに立ち寄った際に
隣の席に座っているJD集団が
当該ツイートについて話しているのが
聞こえてきて戦慄したことを覚えている。


散々ツイッター民に詮索されたが、
特定までされなくて良かった。


それからも転職や引っ越しなどを
経験しながらも細々と執筆を続けてきた。


今振り返れば、名古屋での生活は
たまらなくつまらない日々だったけれど、
ブログ執筆という趣味を続けるには
もってこいな環境だったのかもしれない。

タラレバになってしまうが、
もし名古屋へ行っていなければ
恐らくブログはすぐに辞めていた気がする。


もし誰かにブログを続けて良かったか。
と問われれば、
間違いなくYESと答える。


これまで執筆してきた記事は全て
筆者の思い出であり、財産である。


今でも過去のブログを読み返しながら
当時どのようなことを考えていたのか
回想することもある。


恥ずかしい失敗談も失恋談も
きっと過去の経験の全てが
パズルのピースのように繋がりあって
現在の筆者は作られているのだ。


あとは、そうだな。


最近ブログを始めたばかりの人も
この記事を見てくれているかもしれないので
5年間も続けることができた秘訣?
について考えてみようと思う。


まずブログを続けることはものすごく労力を
使うし、モチベーションにも左右される。


投稿頻度をあげようとすれば
それこそネタ切れやモチベーション切れ
という壁にぶつかってしまう。


だからこそ、投稿頻度や量に拘らず
自分が本当に書き残したいことだけを
ブログに書けばいいと思う。


ぶっちゃけ凡人が収益化なんて
難しいんだから。


毎日の生活のなかで
驚いたことや感動したこと、
誰かに伝えたい体験や思いなど
自分なりにまとめて
ただ文章にするだけでいいのだ。


そうすれば自ずと読んでくれる人が
増えてくるから。


5年前の筆者が他人のブログを見て
触発されたように、
このブログが誰かの道標になれたら幸いだ。


これからも引き続き
マイペースに執筆は続けていくつもりだ。


ただ、本ブログの趣旨通り
生涯のパートナーができた際には
きっぱりとブログを卒業しようと思う。


それが1年後なのか5年後なのか、
はたまた10年以上後になるのかは
まだ分からないけれども。


それまでもう少々のお時間を
当ブログにお付き合い頂ければ幸いです。


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15人の女性と連日連夜アポに挑んできた話(1人目)

東京都の飲食店時短営業の解除。
そんな明るいニュースとともに
15連戦の幕が開けた。


長く静まり返っていた街に
賑わいが戻ってきた華金の夜。


日帰り出張を終えた筆者は
東京駅へと降りたった。


今宵の舞台は東京丸の内
丸の内南口で1人の女性を待つ。


数分後。


きたきた。スタイルの良い美女が。

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※イメージです。


1発目のアポの女性は
15連アポの女性の中でも
トップクラスに美人だった。


IT企業に勤める彼女は
完全にイケてる側の女だった。


彼女とは街コンで出会った。


綺麗なだけでなく、コミュ力も高い。
(このレベルとアポれるのは珍しい)


1時間かけて選び抜いた
スペインバルのお店へとエスコートする。


お店の詳細は控えるがお洒落で
高級感もあって、店内も薄暗い。
デートにはもってこいのお店である。


ワインを乾杯すると同時に、
頭の中でゴングがなった。


近況→仕事や趣味の話→恋愛について
いつものようにトークをすすめていく。


最近彼氏と別れたそうだ。
彼氏の浮気が原因だったらしく
男運がない女なんだと嘆いていた。


話をふんふんと聞いているだけだったが
少しずつ食い付きが上がってくる。


「彼女とはなぜ別れたの?」
「どういう人がタイプ?」
「どんなデートが好きなの?」

相手からの質問も増えてきた。


酔いも話も盛り上がってきたところで
相手が御手洗いに出掛けたため、
お会計を済ませておく。


御手洗いから戻ってきた相手は
化粧を直していた。


ムムム。できる女性だ。



1件目を退店する。


まだ話したりないよねって
雰囲気のまま2件目へ。


歩いて銀座方面へ。
ここでハンドテスト。


拒否なく通る。
相手からも握り返してくる。


2件目ではより深い話ができた。


お互いの終電も近づいてきたので
お開きにすることに。


手を繋ぎながら駅まで歩く。
改札まで彼女を見送る。


今度、魚料理を食べに行こうと約束し
僕らは解散した。


1夜目のアポでは確かな感触があった。


僕はまだまだ戦える。
そう確信できた夜だった。




PS.その日以降、魚料理を食べに行く
約束は果たせておらず、今後の予定もない。

まあ、、、つまりそういうことだ。


15人の女性と連日連夜アポに挑んできた話(プロローグ)

久しぶりのブログ更新。

久しくブログ更新ができなかった。

 

ただそれにはそれなりの理由がある。

 

 

前々回の記事で10月~12月までの3ヶ月を
恋愛強化期間と定めると高々に宣言した。

 

kakusyakaijin.hatenadiary.jp

 

その日以降、筆者はあらゆるツールを

使って女性と出会った。

 

合コンや相席居酒屋、ダーツバー、街コン、アプリ等。

 

緊急事態宣言が明けた東京には

大勢の女性が出会いを求めていた。

 

その女性たちの中で連絡先を交換した

15人の女性と食事アポへ行ってきた。

 

 

その15人の女性とのアポについて

レポート形式にて記事にしていこうと思う。

(基本1人ごとに1記事書くつもり。)

 

また今回の連続アポにはルールを設けた。

 

・性欲に負けない(NOお持ち帰り)

・食事代は1件目のみ驕り。

・ハンドテストは必ず実施。(手を握る)

・去る者は追わず。

 

凡そ3週間の間にアポを詰め込んだため

肉体的にも金銭的にもかなり疲弊した。

 

東京女子との連続アポで

対等に戦うことができたのか?

結果的に彼女ができたのか?

 

その結果については

今後の記事に乞うご期待。

 

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